ヒト

2021.09.09

自然と共に生きていく、山本牧場の牛乳づくりに込められたメッセージ(中標津町)

北海道の中でも有数の酪農地帯である中標津町。年間約20万人が利用する中標津空港があり、道東の中核都市としての機能も充実しています。観光の拠点や移住者も多いことも特徴で、今回お話を伺った養老牛山本牧場の山本照二さんも移住者として、また北海道の酪農家として新規就農された1人でもあります。大規模化が進んでいた北海道酪農の中で、自然そのままの完全放牧で牛たちを育て、時間をかけてつくりあげたグラスフェドミルク「養老牛放牧牛乳」が誕生するまで、またSDGsについてお話を伺いました。

■好きなものを通じて憧れた北海道と「ものづくり」

-山本さんは東京都の出身ですが、どんな少年時代を過ごされていましたか?

実家が乾物屋(醤油や味噌などの卸業)をやっていたこともあって、小さい時から親父の配達とか契約しているところをよくみていました。ものを収めて喜んでもらう、そういう仕事って面白いなって。なので、早いうちからサラリーマンをやるって感じではなかったですね。それと、よく旅行で山に連れてもらっていて「自然っていいな」って、なんとなく刻まれていて。高校の時はワンダーフォーゲル部で北アルプスを縦走とか、よく山に登っていました。

-大学時代は北海道で過ごされたそうですが、山や自然に魅せられた影響からでしょうか?

北海道という場所を選んだのは間違いなくそれですね。大学時代にバイクを購入してからは、山よりバイクで北海道を走ることが増えて。バイク乗りの聖地で知られている「開陽台」にもハマって。中標津との縁はそこからですね。放牧地とか道東ならではの景色をみて、こんなロケーション東京に無いし、ここは日本じゃないなって(笑)。「北海道で暮らすなら中標津だな」って、漠然としたイメージがありました。本当は大学が教育大だったので教員をやろうと思っていたんだけど、当時バイトしていた生活協同組合に就職して。12年間、東京に戻って流通業界で働くことになるんだけど、妻とはそこで知り合って結婚しました。

-どういう経緯でまた北海道へ?

仕事で小さい町工場とか生産現場の視察に行くことがあって、自分で何かつくる仕事って楽しいし、面白いなって思っていて。第1次産業とか、ものづくりの仕事に憧れを抱くようになっていたんですよね。組合との仲がうまくいってなかったこともあったんだけど(笑)。北海道には旅行やキャンプに行ったり、家族も大好きだったし北海道の暮らしに憧れもあって、自然な流れで。ものづくりをしたかったから旭川で家具職人っていうのもあったんだけど、暮らすなら中標津だなって決めていたから。それで農業委員会みたいなところに聞いたら「農業やるなら酪農しかないよ」って言われて。それで研修牧場を紹介されて35歳のときに仕事を辞めて、翌年には家族で北海道に移り住んだ感じです。

■北海道の酪農のイメージとリアル

-研修期間を終えて酪農家としてスタートを切る時に印象に残っていることを教えてください。

印象に残っているのは2001年に「BSE問題」が起きて。あのとき日本中の酪農家が叩かれましたよね。何が問題だったかというと、今は禁止になっている魚粕や肉骨粉といった動物タンパクを草食動物にあげていたことが原因と言われていたんだけど。実際に自分がいたところでも普通にやっていたので。18種類くらい草にいろいろ混ぜるんだけど、それ全部が外国産でオーストラリア、カナダ、アメリカとか。当時は酪農の大規模化が当たり前で、質より量が当たり前だったから。牛を効率化して飼うことが北海道の酪農の主流になっていましたよね。

-BSE問題がきっかけで見直せた感じでしょうか? 

BSE以外でも様々な現場をみてきて「なんか違うな」という違和感はありましたね。でも、研修牧場で学んだこととかもコロっと覆されて、これからどういう酪農をやっていこう?って迷っていて。そのときに草で育てる放牧酪農があることを知って。それから完全放牧でやっていこうって決めましたね。BSEが無かったら普通の酪農をやっていたかもしれない。

-自然そのままの草だけで牛を育てる難しさは、どんな点がありますか?

そもそも牛って色々な改良をされていて、今のホルスタインって乳が出るように配合飼料をたくさん食べられる体が最初からできあがっているんです。その中でいきなり草だけで育てたら絶対に体を壊しちゃう。だから最初は普通に配合飼料をあげていました。8キロあったのを大体1キロずつくらい毎年減らしていって。もともと乳を出す環境のなかで粗食にして育てていたから、うまくいくシーズンもあれば、そうじゃないシーズンもあって。トライアンドエラーで失敗も多かったけど、そうやって少しずつ良くなって。8年目に配合肥料をゼロにしました。

-「養老牛放牧牛乳」が完成したという確信と販売のタイミングは?

配合飼料が残り1キロの段階で「おいしいな」って確信して、そうした自分の感覚を1番大事にしていますね。理屈や誰かから聞いた話とかじゃなくて、自分が経験したことが大事。もともと就農するにあたって、なにを目指したかというと「おいしい牛乳をつくりたい」と思っていて。いろんな農家さんに行って経験させてもらって必ず生乳を飲ませてもらうんだけど。そこでわかったのは「放牧して草を中心にして育てている牛乳はおいしい」ってこと、これは確信があった。

■おいしい牛乳づくりとSDGs

-目指していた牛乳づくりができるようになってからはどのような活動をされましたか?

実際に自分で牛乳をつくると、今度は良く牛を飼うことだけじゃなくて「販売しなくちゃならない」という行為が出てくる。そこでマーケティングの勉強をする訳で「中標津素材感覚」ってマーケティングの勉強会みたいなグループをつくったんです。10年程そのグループで活動した中で「なかしべつマルシェ」というイベントを4年間やったり。そうやっていろいろと活動を重ねてマーケティングの話からSDGsの活動に移り変わり、今の「道東SDGs推進協議会」に至っています。

-山本さんは道東SDGs推進協議会としても活動されていますが、SDGsに対する考え方を聞かせてください。

SDGsって、やってきたことに対して意味づけされたというか。経済活動をするからマーケティングの勉強をする訳だし。そうした経済活動とナチュラルな酪農スタイルを平行してやっていく中で、「経済・社会・環境」この3つを同時に扱う立場って、今やっていることなんだよなって。理論的にもバックアップされていく気持ちで「これをやりたいな」ってなりましたね。もともと放牧酪農をはじめたのは、大規模化と対照的な思いもあったからで。そうした流れに異を唱えるところもあるんだけどSDGsというツールを活用して、そうした人たちと一緒にやっていくことで「やっぱり環境に対して配慮しないといけないんじゃないか?」って関心を持ってもらいたいですよね。そうやって自然に理解してもらうことって、すごい大切なことだと思います。

-経済的な物差しだけではなく、社会や環境への配慮も必要ということですね。

例えば、40頭規模で牛を飼う農家を1件増やすことより、大規模農家さんが配合飼料1キロ減らしてもらったほうが、業界トータルで考えると地球に対して良いことなんだよね。SDGsのお陰でそう思えるようになったというか。SDGsの物足りなさを感じている人たちも実際いるけど、こういう考え方が広まることで多くの人たちが手を挙げたり、社会全体がより良くなるためのきっかけになっているのは事実で。いいところ悪いところの両方を理解したうえで、うまく使ってやってこうよって思えてくるのかな。

-SDGsと言えることで、いいところと悪いところがあれば教えてください

やっぱり循環型酪農というか。地球や地球の外からいただいたエネルギーみたいなものを使い切るというか、必要以上のエネルギーをそこに生み出さないというかな。今あるところですべて回すような考え方や自然に対して配慮する、そんな考え方っていうのがSDGs的かなって思いますね。悪い点で言うと、みんなSDGsって言うからフリに使われるというか(笑)。政治家とか大企業とか。最終的に社会をより良い方向へもっていくと考えると政治的なものって切り離せないと思っていて。ときにはぶつかることもあるなかで「まぁまぁ」って、なりやすいのかなと(笑)。そうしたところを十分理解したうえで、SDGsをうまく活用したいですね。

-これからさらに何かやっていこうとしていることはありますか?

望んでいた「ものづくり」はできているかなって思いますね、やりたいことは一通り。ライフスタイルとしても誰もやってないことをやったり、牧場で音楽フェスをやったり、コンテナハウスをつくって商売したり、東京で牛乳屋さんをはじめたり。コロナの影響で経営的な傾きはあるけど、今あるものをより深めていくことですかね。強いて言うと、道東をSDGsのメッカみたいなものにしたいなと思っています。SDGs甲子園を道東で開催したいなって思っていて、それは観光や教育分野にもつながると思っていますね。

■自然への敬意と営みからうまれるメッセージ

-息子さんも加わり、持続可能な酪農をご家族で実践されていますが、ここだけはこれからもブレないってものがあれば教えてください。

孫ができたことで自分の意識も変わりましたね。この子は一生かけて守ってあげたいなって思う。そうした中で立ち返る基本はやっぱり「おいしい牛乳をつくる」ということですね。あと、自然と共に生きていくこと。農業って本来は、そういうことだから。尊敬の念をもって、慈しむというか。そういう姿勢は絶対忘れたらいけないと思いますね。あと、家族の営みみたいなものは大事にしたいなって思っています。

-営みみたいなもの、とは具体的にどんなことでしょうか?

東京の山本牛乳店でも「営み」を大事にしていて。実際スーパーにも自分たちの牛乳を置かせてもらっていますが、お店によってはレジも無人化されて、お客さんとのコミュニケーションが商売の現場に無いんです。目標は、牛乳を販売するだけじゃなくて、お客さんの冷蔵庫の中にどう牛乳を置いてもらうか。まずは、お客さんと話すこと。コミュニケーションのある販売形態をやりたいから、そのうえで牛乳配達がいいなって。そうした営みを大事にしないと自分たちのオーガニックな取り組みも伝わらないと思いますね。

-ものは届いているけどメッセージが届いていない。本来の伝えたいメッセージの部分ですね。

コロナがあったお陰かもしれないけど、いろんな関係性を今は1からつくり直す感じかなと思っていて。人間と自然、牛と人間、地方と都市とか、生産者と消費者、そういう関係性を見直さないとならない時代かなって。今は、あらたな関係づくりのテーマを与えられて、そういう関係性を一緒に考えていきましょうって感じなのかなと思います。

聞き手・撮影 清水 たつや

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